フィリピン・ミンダナオ島ってそんな危ないの?〜3ヶ月滞在して感じるリアル〜

みなさん、こんにちは。

フィリピンのミンダナオ島に位置するカガヤンデオロ・カミギンに来てから3ヶ月が経とうとしています!

いやーこの3ヶ月いろんなことがありました笑

この3ヶ月で経験したこと、感じたこと、また違う形で更新いたします!

 

今回はみなさんが気がかり(かもしれない)ミンダナオ島のカガヤンデオロとカミギンの治安って正直どうなの?という質問にお答えします!

 

正直どうなの?フィリピン・ミンダナオ島 

最近、いろんな人から「大丈夫?」と連絡が来たりしていました。

理由は以下のこんな感じです。

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Googleで「フィリピン ミンダナオ」と検索ワードを入れると、こんな感じで出て来ます。

 

これだけ見ると、ミンダナオ島危ないよ!!という気持ちになりますよね?

 

では、事件が起こってから1ヶ月ちょっとが経ちましたが、僕のこの1

ヶ月をハイライトしてみましょう。

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結論、エンジョイしまくってましたよ。

 

何が言いたいかっていうと基本問題はないってことです。

もちろん最低限の安全管理はしています。

セキュリティもしっかりしていて、軍の人が見回りをしていたり、IDチェックをしっかりしてくていたりしています。

カミギンに関しては、もはや市長、州知事の計らいで常に監視されてる並みに守られています。笑

 

そして、安全を象徴するのが、UNIQLOです!!

つい先日6月30日にカガヤンデオロのSMモールと言うところにオープンいたしました!!

オープンするのは、マニラ、セブ、ダバオにつぎ、4番目です!

こちらに来た際は、ぜひ購入していってください!

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トジョウエンジンにUNIQLO in CDOの記事もあげているので、読んでくださるとありがたいです。

eedu.jp

 

もちろん、カガヤンデオロ・カミギンには生徒でムスリムの方々もいます。

彼らはすごい優しく、気遣いをしてくれます。

でも、メディアだけをみて、「あ、ここは危ないからやめておいた方がいい」とか「人を信頼できない」って思っちゃうんですよね。

大枠しか目に入らず、中身が見えないから。

その気持ちはものすごくわかります。

それが大きなメディアの限界です。

 

でも、それが全てではありません。

ここには、温かい人たちがたくさんいます。

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この人たちと毎日向き合って、話して、現地の教育課題を解決しようとしています。

パートナーのアクロさん・ジョジョさんとはお酒を飲みながら、下ネタを言う時間がとても楽しいです。

 

こんな場所にいれることが今とても幸せです。

全然日本に帰りたいって思うことは正直ありません。(ツイッターでラーメン見るときだけ帰りたくなります…笑)

 

これだけの人たちに囲まれて、たくさんのおもてなしをしてもらっています。

もちろん、教育課題の解決も一つの僕にできることです。

そのほかに、僕にできることはないかと思い、考えたのがフィリピン・ミンダナオ島のカガヤンデオロ・カミギンのことを発信していくことです。

 

今あなたが見ている世界が全てではありません。

メディアのレンズだけでは、暗い世界しか見えないと思うんです。

その世界に僕のブログという違うレンズを通して、明るい世界を少しずつ広げていけたらいいなと。

それが今僕にできる一つのフィリピンへの恩返しです。

 

こんな中身を伝えることができるのって僕だけだと思うんです。

圧倒的に日本人が少ない中でこそ、発信していくべきではないかと確信しました。

 

僕にしかできない役割を果たしていこう、とあと8ヶ月奮闘してまいります!

 

カガヤンデオロ・カミギンに来る際は、私がおりますので、連絡ください!

お待ちしております!

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第1回 言語が作り出す虚構

先日、フィリピンのある学校でプレゼンする機会があった。

プレゼン中に印象に残っていることがある。

数ある生徒や彼らの親がいる中で、一人のお母さんの真剣な眼差しがずっと僕をみていた。

彼女のその真剣な眼差しと頷きに惹かれ、一人のその女性に向けて、思いを伝えていた。

僕が生きてきた人生、今フィリピンで国際協力に携わるに至った原点、そしてこれからの支援のあり方を彼女に向けて、精一杯伝えた。

僕にとって、それが彼女に響いていたのかは今となってはわからない。

プレゼンが終わり少しすると、彼女は去っていってしまった。

 

 

この導入は別に本内容を書くに至ったきっかけにすぎない。

「人」というものがなぜ「ことば」というものに力を込めるのか。(もしくはそれが絵かもしれないが)

「ことば」にはそもそも意味があるのか。

何回かに分けて、その疑問をぶつけてみたい。

 

第1回となる今回は、言語が作り出す虚像について考えていきたい。

言語が作り出す虚構

最近話題の著書ノヴァル・ハラリ『サピエンス全史』では、サピエンスの歴史には、大きく3つの歴史が存在するという。

  1. 認知革命
  2. 農業革命
  3. 科学革命

言語の発展は約7万年前に起こった「認知革命」の時に、新しい思考の方法と意思疎通によりもたらされたというのだ。

ただし、サピエンス以外にも「ことば」をもつ人類もいた。

しかし、なにが違うのか。それは「虚構」という、存在もしないものを伝える能力が発生したことだと、ハラリは述べる。

虚構を扱えるようになった「ことば」がサピエンスの柔軟で大勢による協力を促すことができる。

伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。私たちの言語が持つ真に比類ない特徴は、人間やライオンについての情報を伝達する能力ではない。むしろそれは、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力だ。見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私たちの知るかぎりではサピエンスだけだ。

これに関連し、興味深い表現が伊藤計劃虐殺器官』の登場人物、ルツィアの言動の中にみられる。

(この「虐殺器官」は精巧に作られた小説であるが、非常に考えさせられる内容だ。オーウェルチョムスキー、ディックなどの知識が含まれており、どれだけの読書量と文才で書けるのか、畏敬の念しかない。)

ことばは、人間が生存適応の過程で獲得した進化の産物よ。人間という種の進化は、個体が生存のために、他の存在と自らを比較してシミュレートするーつまり、予想する、という思考を可能にしたの。情報を個体間で比較するために、自分と他人、つまり自我というものが発生した。…そうすることで人間はいろいろな危険を避けられるようになり、やがてそれぞれの個体が『予測』した情報を個体間で交換するために、ことばは発生し、進化したの。自分が体験していない情報のデータベースを構築して、より生存適応性を高めるために

「虚構」は作りごと。

「予想」とは物事の成り行きや結果について前もって見当をつけること

ルツィアのさす「予想」は虚構のうちの一つを構成しているとは考えることはできないだろうか。

予想はあくまで予想。前もって見当をつけることでしかない。

去年のアメリカ大統領選を見てみてもわかるだろう。

クリントン候補が勝利すると考えた多くの人の予想は外れた瞬間、真実でなくなった。

その予測は一度外れた瞬間に、虚構となるのである。

 

しかし、考えてみると、虚構はある一体感を作る。

例えば、神話や宗教といったものである。

 

ルツィアは「ことば」を介して、情報を交換し、生存適応性を高めるに至ったという。

人間一人では生きていけない、といった感じである。

この交換に加え、大量に蓄積された情報に加え、ハラリはその「ことば」に虚構を想像できる機能が付加されたと。

そうして、できたのが神話であり、宗教である。

私たち、つまり現存する人類は。他の動物などのように遺伝子に関係なく、想像し、信じ、協力するということが皆できるようになった。

最初は、ただ単に生存適応性を高めるために、集団ができたのだろう。

しかし、その規模が大きくなるにつれて、宗教や神話といったものが形成され、大きな力を持つようになった。

そこには、「ことば」が必ず存在するのである。

ここで、ある疑問が生まれる。

「どんな『ことば』でもいいのか?」

ハラリはここに関しては、答えは出していない

効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人どうしが力を合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。

次回は、この疑問について、チョムスキーの普遍文法、リドレーのイノベーションにも触れながら、考えていきたいと思う。

 

 

「何のため、誰のため」を忘れないために大事なこと

こんにちは!

フィリピンに来てからだいぶブログの更新を怠っていました。

 

が!

再開です!

 

フィリピンに来てから、あと少しで2ヶ月が経とうとしております。

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僕がこの2ヶ月何を感じて来たかを書こうかなと思います。

 

浮き足立っていた2ヶ月

今思うと、フィリピンに来てからこの2ヶ月という期間は僕にとって、「焦り」という一言に集約されるかもしれません。

 

早速到着してから、カガヤンデオロでは進めたかったプロジェクトにも早速着手し始めることができました。

現地パートナー、支援校、大学機関を訪問して、プロジェクト概要を説明、受け入れてもらえました。

あとは契約を結び、より具体的なプロジェクトの内容を決めるだけ。

 

 

そして、1週間おきにもう一つの活動地のカミギン島に行きます。

しかし、カミギンではなかなかプロジェクトが動かない。(来週からやっと始動できそうです)

 

この二つの活動地の進捗の違いが「焦り」を生んでいました。

心の中では、どこか腹落ちしない日々の活動。

それでも淡々と活動していました。

 

そんな焦りを感じる中でも、カガヤンデオロでは企業案件もあり、そちらでは今までにない経験をさせていただくことができました。

 

そして、企業案件が終了した次の日、急な発熱で1日中ベッドに横たわっていました。(実はこの1週間前にも発熱してました笑)

 

僕はふと「何のため、誰のために今フィリピンにいるのか、もう一度自分の中で再確認しなければ」と思いました。

 

この2ヶ月間自分の中で腹落ちしないながらも、走ってきた。

一度、自分を見直そう。自分と相談しよう。

 

自分を省みるためにすること

自分の原点を見直す

自分が辿って来た人生、そしてなぜ今こうして活動するに至ったのかを再び見つめ直すことです。

ここに「何のため、誰のため」が集約されているはずです。

 

幸運なことに、トジョウエンジンというサイトにe-Educationで活動するに至った経緯を掲載させていただきました。

eedu.jp

 

人と話す

今の自分の現状を誰かに話すことで、自分の状態が整理されます。

僕は以前まで自分のことを誰かに話すことが苦手でした。

それでも、少しずつ、少しずつ自己開示ができるようになりました。

自己開示することで、相手から言葉をもらえるだけでなく、思考が整理されます。

 

日々の生活を見直す

それぞれ目標としているものや成し遂げたいことがあると思います。

それを達成させるためには、もちろん本業で力を出すことが必要です。

しかし、それ以上に毎日の生活をどう過ごすかで変わってくることもあります。

規則正しい生活であったり、本業で力を発揮するための準備など、人それぞれあると思いますが、それを大事にしていこうと思います。

最近で胸に残っているシーンです。

 

チームのエースが不調の中で監督が彼に求めていること

 

その目標に近づくために日々どうあるべきか

その日その1日をどう過ごすべきか

野球以外のことから一つずつ問うていくことが一番の近道ではないかと

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ダイヤのA act II 第78話より)

NARUTOを読む

これは特におすすめです!!!

主人公ナルトと、その仲間たちのストーリーには人生が込められています。

勇気付けられる言葉がたくさん散りばめられています。

ここでは語りきれないことばかりなので、呼んでください!笑

もうすでに終わってしまいましたが、読むことをおすすめします。

こちらにおすすめの動画を載せておきます。

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youtu.be

youtu.be

 

次に進むために

また明日から、活動が始まります。

その中で、「何のため、誰のため」を忘れずにしっかり地に足をつけ、進んでいこうと思います。

まだ何ができたわけではありません。

まだまだ甘いところや至らないところがありますが、まずは7月の授業開始に向けて、自分にできること、やりたいことを進めていこうと思います!!

 

最後まで呼んでいただき、ありがとうございました!

それでは、また次回!

ミュシャ展を終えて

ミュシャの平和思想

 

先日ミュシャ展を観に、国立新美術館に行ってきました。

 

親が美術や工芸、料理が好きでその影響で何気にこういったものに関心を持ってきました。

 

今回は初めて数多くの「スラブ叙事詩」作品が日本にやってまいりました。

 

その中でも僕が惹かれた絵画がこれです

↓↓↓

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菩提樹の下で行われるオムラディナ会の誓い」
1926-28年 油彩、テンペラ/カンヴァス 390×590cm
スラヴ文化の再興を求める会の集まり。しかし、20世紀頭に弾圧を受けてしまった。

mement-mori6.blog.jp

この「オムラディナ会の誓い」が自分にとって考えさせられた作品でした。

 

【解説】

スラヴ叙事詩の中でこの作品は現代、つまり19世紀後半から20世紀初頭のチェコを描いています。(そのまま現代を描くのではなく、前景の 「ルミール」 と 背景のスラヴィアは古代、または伝説ですが)
 チェコを支配していたオーストリアは1867年にハンガリーと手を組んでオーストリアハンガリー二重帝国となります。 これはチェコをはじめスラヴ系諸民族の抑圧が前提となっておりチェコでは急進的な青年チェコ党が誕生するなど対抗運動が起こります。
 この絵は1894年1月の青年チェコ党員68人が逮捕されたことを踏まえ、青年たちが古代の伝説にならってスラヴ菩提樹の下でスラヴィアに宣誓をしている場面です。スラヴィアへの青年の宣誓は、同じ頃に制作したプラハ市民会館の壁画でも描いています。 
 「スラヴ叙事詩」 は未完成だとよく言われます。それは完成後もミュシャが手を入れ続けていたこと、この絵で宣誓する青年たちの顔が描かれてないためです。実際、完成後初となる1928年プラハのスラヴ叙事詩展にはこの作品を除く19点だけを公開しました。
 「スラヴ叙事詩」 は全体に象徴的な描き方をしています。しかし、登場する人物はどれもひとりひとりを特定できるほどリアルに描いているのに この作品だけ顔を描いていないのは、人物の特定をミュシャが避けたからだと考えられます。 スラヴ叙事詩が発表された当時政治家として活躍中の人物も含まれていました。

ミュシャを楽しむために:スラヴ叙事詩、スラヴ菩提樹の下で宣誓する青年たちより。

 

こんな説明があるのですが、僕がパッと見たときに感動したのは仏教を象徴する「菩提樹」の元にたくさんの民族、様々な時代の人々が輪を作って舞踊しているということです。

 

上記の解説を聞くと、「ああそうなんだ」と思うのですが、僕はこれを観てミュシャの平和思想を感じることができたような気がします。

 

この当時はナチスの侵攻や世界大戦の終結と始まりなど混沌としていた世界だった。それでもミュシャが願い、人々に込めた作品がこの「オムラディナ会の誓い」なのではないか。

 

スーツの人もいるし、民族衣装を着ている人もいる。いろんな世代の人たちが団結して、今の世界がある。その受け継いできた世界をなくさないため、人々を奮起させるためにこの絵を描いたのではないか、と考えました。

 

芸術は人々の思いを、アクションを変えていく。

そんな力を秘められているからこそ、もっと多くの人に見てもらいたいと思います。

 

 

 

 

 

アニメ-NARUTO最終回を迎え、考えたこと

みなさんにとっての平和って??

 

木曜日でついにアニメの方のナルトも最終回を迎えました。

漫画の方は一昨年に終わってしまって悲しいですが、またアニメの方も終わるとなるとなんだかんだ寂しいですね。。。

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NARUTOって忍術とかチャクラとかカッケー!!って思いますよね。特に男性陣は。

 

でもNARUTOのストーリーの本質的なとこって人生だと思うんですよね。

 

僕自身NARUTOのストーリーにはたくさん考えさせられました。

 

物語中に「暁」っていう敵が出てくるんですが、そこのリーダーであった長門て奴の師匠がナルトの師匠でもあるわけです。

 

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でもそのペインも平和を作りたかった。ナルトも平和な世の中を作りたかった。

 

それぞれの正義があるわけです。

 

大国同士が国益のために戦争、戦争、戦争の繰り返しをしてきた。そしてその戦地だった小国は大きな傷を抱え苦しんできた。その小国出身の長門にとっての平和、戦争が落ち着いたある程度安定した里に生まれたナルトにとっての平和。

 

みんな考えている世界って、それぞれ違うわけですよね。それは当たり前。

 

その考え方の違いから生まれた戦い。

 

それでもナルトと長門はぶつかり合いながら、答えを見つけていくわけです。

 

NARUTOのストーリーでいくと、ここは忍術(武力)の闘いで決着がつくわけですが、ナルトと長門の対話に入っていきます。

 

初めて2人がお互い全ての心をさらけ出していきます。

なぜ長門が己の正義、平和の思想を持つようになったのか。

 

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最終的に、最後の力を振り絞りナルトの仲間たちを、自分の命と引き換えに生き返らせます。

 

そして、ナルトに全てを託して死ぬわけです。

師匠の残したモノ、兄弟子が残したモノをナルトが背負い、再び歩きだし、色んな人と本気でぶつかり、わかりあっていく。

 

今の世界に求められてるのもやっぱこれだと思います。

それぞれの考える理想の世界や平和が違うからこそ、対話し、ぶつかり、お互いの共通するもの、想いを共有していく。

その先に、共生する社会、世界が生まれるんじゃないかな。

 

まだまだ知らない考え方とか世界ばっかり。

だから毎日が学びです。

 

今、人生の夏休みと言われる学生時代だからこそ、若者だからこそ、もっともっと色んな世界を見て行きたいです。

 

 

みなさんにとっての平和ってなんですか?