第1回 言語が作り出す虚構

先日、フィリピンのある学校でプレゼンする機会があった。

プレゼン中に印象に残っていることがある。

数ある生徒や彼らの親がいる中で、一人のお母さんの真剣な眼差しがずっと僕をみていた。

彼女のその真剣な眼差しと頷きに惹かれ、一人のその女性に向けて、思いを伝えていた。

僕が生きてきた人生、今フィリピンで国際協力に携わるに至った原点、そしてこれからの支援のあり方を彼女に向けて、精一杯伝えた。

僕にとって、それが彼女に響いていたのかは今となってはわからない。

プレゼンが終わり少しすると、彼女は去っていってしまった。

 

 

この導入は別に本内容を書くに至ったきっかけにすぎない。

「人」というものがなぜ「ことば」というものに力を込めるのか。(もしくはそれが絵かもしれないが)

「ことば」にはそもそも意味があるのか。

何回かに分けて、その疑問をぶつけてみたい。

 

第1回となる今回は、言語が作り出す虚像について考えていきたい。

言語が作り出す虚構

最近話題の著書ノヴァル・ハラリ『サピエンス全史』では、サピエンスの歴史には、大きく3つの歴史が存在するという。

  1. 認知革命
  2. 農業革命
  3. 科学革命

言語の発展は約7万年前に起こった「認知革命」の時に、新しい思考の方法と意思疎通によりもたらされたというのだ。

ただし、サピエンス以外にも「ことば」をもつ人類もいた。

しかし、なにが違うのか。それは「虚構」という、存在もしないものを伝える能力が発生したことだと、ハラリは述べる。

虚構を扱えるようになった「ことば」がサピエンスの柔軟で大勢による協力を促すことができる。

伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。私たちの言語が持つ真に比類ない特徴は、人間やライオンについての情報を伝達する能力ではない。むしろそれは、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力だ。見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私たちの知るかぎりではサピエンスだけだ。

これに関連し、興味深い表現が伊藤計劃虐殺器官』の登場人物、ルツィアの言動の中にみられる。

(この「虐殺器官」は精巧に作られた小説であるが、非常に考えさせられる内容だ。オーウェルチョムスキー、ディックなどの知識が含まれており、どれだけの読書量と文才で書けるのか、畏敬の念しかない。)

ことばは、人間が生存適応の過程で獲得した進化の産物よ。人間という種の進化は、個体が生存のために、他の存在と自らを比較してシミュレートするーつまり、予想する、という思考を可能にしたの。情報を個体間で比較するために、自分と他人、つまり自我というものが発生した。…そうすることで人間はいろいろな危険を避けられるようになり、やがてそれぞれの個体が『予測』した情報を個体間で交換するために、ことばは発生し、進化したの。自分が体験していない情報のデータベースを構築して、より生存適応性を高めるために

「虚構」は作りごと。

「予想」とは物事の成り行きや結果について前もって見当をつけること

ルツィアのさす「予想」は虚構のうちの一つを構成しているとは考えることはできないだろうか。

予想はあくまで予想。前もって見当をつけることでしかない。

去年のアメリカ大統領選を見てみてもわかるだろう。

クリントン候補が勝利すると考えた多くの人の予想は外れた瞬間、真実でなくなった。

その予測は一度外れた瞬間に、虚構となるのである。

 

しかし、考えてみると、虚構はある一体感を作る。

例えば、神話や宗教といったものである。

 

ルツィアは「ことば」を介して、情報を交換し、生存適応性を高めるに至ったという。

人間一人では生きていけない、といった感じである。

この交換に加え、大量に蓄積された情報に加え、ハラリはその「ことば」に虚構を想像できる機能が付加されたと。

そうして、できたのが神話であり、宗教である。

私たち、つまり現存する人類は。他の動物などのように遺伝子に関係なく、想像し、信じ、協力するということが皆できるようになった。

最初は、ただ単に生存適応性を高めるために、集団ができたのだろう。

しかし、その規模が大きくなるにつれて、宗教や神話といったものが形成され、大きな力を持つようになった。

そこには、「ことば」が必ず存在するのである。

ここで、ある疑問が生まれる。

「どんな『ことば』でもいいのか?」

ハラリはここに関しては、答えは出していない

効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人どうしが力を合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。

次回は、この疑問について、チョムスキーの普遍文法、リドレーのイノベーションにも触れながら、考えていきたいと思う。